アデレード暮らし

2001年から南オーストラリア州のアデレードで暮らし始めた私の記録

ヒースロー空港に荷物が来なかった話

海外旅行を再開した。

弟家族がいるイギリスに行くことにして、ローマに行ったことがないのでイタリアも行くことにして、だったらパリも行きたいと娘達が希望して、結果的に3カ国に行くことになった。

旦那も私も休みの都合があるので期間は2週間。娘達は休みにゆとりがあるので1週間追加して3週間。2人で先に出発してロンドンを観光しておいてもらうことにした。

娘達がまずアデレードから出発。1週間後に私がアデレードを、旦那はバンコクを出発。3種類の航空券を手配し、それぞれが弟宅を目指した。

私の到着が1番遅くて、クリスマスの朝にヒースロー空港に着いた。

税関職員がストライキしていた為にe-ゲートの利用を勧められ、入国カードもなく、3人待ったくらいで自分の番になって、とてもスムーズに入国出来たのに、待てども待てども私の荷物は来なかった🥲

荷物遅延手続きカウンター横には朝6時なのにすでに10個くらい荷物が置かれ、ちょっと離れた所にも50個程の荷物が並んでいた。広いフロアには他にも同じような荷物の塊があった。それを見た時、あ、彼らにとっては日常茶飯事で、迅速なサービスは期待できないな、と思った。さらにストライキだしクリスマスだし。(イギリスは27日まで連休だった。) こりゃダメだ、と列に並んでいる間にすでにがっくりした。

私の飛行機はシンガポール航空だったけれど、DNATAという空港で地上サービスを提供している会社が窓口だった。ドバイ国立航空運送協会だそうだ。航空会社は丸投げかあ。ますます期待が出来なくなった🥲

預ける荷物にはバーコードがついているんだから今どこにあるかなんてチャチャってわかりそうなものだと思うんだけどそういうことでも無かった。行方不明となった私の荷物の手続きが終わって問い合わせ番号ももらって、午後には指定された住所に届けられると思います、と言われたけれど、それは無理だろう(クリスマスだし)、きっと明日だろう、と思って出口に向かった私は甘かった。

結局、荷物が見つかってヒースローで預かっているという電話が掛かって来たのは年が明けた2日、ミラノのドゥオモで今まさに入場券を係員に見せている時だった。

けれども私は知っている。荷物は26日の時点でまだ経由地のメルボルンにあって、シンガポールに向かう飛行機に積み込まれる予定で、27日にはヒースローに到着していたであろう事実を。DNATAでは埒が明かなくてシンガポールにあるシンガポール航空、そう、ロンドンのシンガポール航空ではなくてシンガポールシンガポール航空に電話で問い合わせたら、ちゃんと荷物の居場所を把握してた。

これが帰国後の荷物遅延であればこちらももっと冷静にのんびりと自宅に荷物が届くのを待ってられたけれど、何しろ旅の途中。3-4日ごとに滞在先が変わる。弟の家に届かないと分かった時は、パリ・シャルルドゴール空港のシンガポール航空手荷物サービス係に送ってもらおうと思ってわざわざ空港の住所まで調べてオンライン上で受取先情報を更新したけれど、一向に連絡が来ない。来るのはシンガポール航空からの、まだ見つかってませんという自動メールばかり。嘘つきー!と思いながら毎日オンラインで「現状」を確認していたけれど、フランスでも受け取れないと分かった時点で諦めて受取先をアデレード空港にしてパリのユニクロに行って足りない日用品を買い足した。どうしてアデレードにもユニクロはあるのにパリでユニクロに行ってるんだろう…と思ったけど、ユニクロがあって助かった、と思ったのも事実。

カバンがないのにどこまで荷物を増やすのか。それが問題だ。スーツケースを買うのか?紛失じゃなくて遅延だから保険の補償額は少ない。

万が一荷物が遅れた時のためにリュックに1組の着替えを入れておいたのと、弟の奥さんが毎日洗濯する人だったことが幸いしてイギリス滞在中はなんとかなった。

気候が想像以上に暖かかったこともあって、結果的に2週間の旅行は自分史上最小の荷物で乗り切った。旦那はとても驚いていて、次回の旅行の参考にしようとか言っていた。下着以外ほぼ着の身着のまま。真夏のアデレードしかもシンガポール経由だったけどダウンジャケットを預けなかった自分を褒めたい。若い頃は旅行中同じ服で写真に写りたくないとか思ったけど、今はもうそういう気持ちもない。思いっきり水が染みる運動靴を履いてきてしまって替えが無かったのは辛かった。旅行にはゴアテックスの靴だと思った。ズボンの替えは無かったけれど、滞在先が全て洗濯機と乾燥機付きだったのは助かった。

預け入れ荷物とリュックとハンドバッグの合計3個の荷物で始まった旅だったけれど、ロンドンに着いてひとつ減り、ローマで空き巣被害に遭って私のリュックだけ盗まれてまたひとつ減り、最終的にハンドバッグ一つになってしまった話はまた別の機会に。