長女が中学を卒業するまでの15年間、バイリンガル育児をしてきました。
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あれから数年。長女は成人して他州で大学生をしています。「日本語の勉強が辛かったこともあったけれど、今はとても感謝している、自分の日本語力は自分にとって力強い武器になる」といったようなことを言われて、嬉しくて泣けました。
長女が日本語を「国語」として習ったのは中学3年生まで。その後、高校1年生の時に外国語として勉強しました。高2・3年生の間は生活の中で日本語を使うだけで、大学に入ってから、選択科目の一環で、日→英・英→日の翻訳のクラスを取りました。
言葉は進化するものですから、言葉に囲まれていないと進歩しないし、維持するどころか、むしろ退化します。高校2・3年の時には家族以外と日本語を使う機会はほとんどない状態でしたが、大学に入ると、自分と同じように育った(育てられた)オーストラリア育ちの仲間が出来たり、日本からの留学生達と出会い、彼らを通して再び日本語のアップデートをしています。帰省する度に口調がいまどきの若者っぽくなっていて面白いです。お陰で私も若者の日本語に触れる機会が増えました。
日本からの留学生によく言われるセリフが、「たまに面白い間違いするから、ああそうだった、オーストラリア育ちだったって気づかされる。」だそうです。
子供の頃のテレビ番組の話とか、アイドルの話とか、お笑いの話とか、学校の話とか、どうして日本のことそんなに知ってるの?と驚かれるそうです。
オーストラリアの休みを使って日本の中学校へ通った際、ちょうど中間テストの期間と重なり、わけがわからないまま社会や理科のテストを受けたら30点だった、正解が「卑弥呼」だという問題で漢字がわからなくて「ひみこ」と書いたらバツだった、△(三角)くらいくれたっていいじゃんと思った、英語なら100点取れるかと思ったら取れなかった、どうしてオーストラリアの友達がエンジョイしている間に私は日本でも学校へ通わされてしかもテストを受けさせられて酷い点を取らされているんだ(泣)と自分にとって黒歴史だったものが今では笑いのネタになっているそうです。
大学に入ってから、自分と同じような「オーストラリア育ちだけど親が外国人」だという子達にたくさん出会って、そういう子達と話す時が一番居心地がいいということを知った。アイデンティティークラッシュ(アイデンティティークライシス)の話もたまにするけれど、自分にはそういったこともなかった、と言っていました。
日本語も英語も使えるアルバイトを見つけ、人脈を広げ、彼女なりにオーストラリアと日本の架け橋になれるよう頑張っているようで、すごく嬉しいし楽しいと言っています。
言語のレベル的にはすでに英語の方が高いでしょう。けれども、家族とは違う日本人に囲まれて過ごすことで、日本語のレベルアップも出来ているのではないでしょうか。
娘が日英両方の言葉を使う仕事に就きたいと願った場合、日本語がネイティブな人達と同じ土俵で競うにはハンディがあるでしょうが、オーストラリア側に立って日本を相手に仕事をするならば他人(ひと)よりもチャンスがあるのではないでしょうか。
学生の間にいろいろな経験を積んで、たくさん恥をかいて、ステップアップしていって欲しいと思います。
長女に関しては、バイリンガル育児をして良かったな、と思っています。
<おまけ>(こういう間違いをたまにするから海外育ちだと気づかされる)
(親子二人で大爆笑)
勘違い話 その1
長女:あげものにはいいよね
私:は?
長女:プレゼント
私:おくりもの(贈物)ね
勘違い話 その2
長女:成人じゃないって、みせいじんだっけ?
私:未成年ね。みせいねん
勘違い話 その3
長女:しょうじかってさあ
私:「しょうにか」ね。小児科
勘違い話 その4
長女:上科って何て読むの?じょうか?
私:え?何それ?
長女:げかの反対のこと。
私:げか?
長女:そう。げか。
私:(しばらく考えた後)ああ、この間 足をみてもらったお医者さんみたいな?外科の「げ」は外って書くんだよ。下じゃないよ。だから反対は内科(ないか)だよ。
長女:え、下?じゃないの?
私:下って何?体の下の病気を診る先生だと思ってたの?
長女:うん、だから下の反対は上だから上半身を見る先生のことだと思った。変な分け方するなあって思ってた。
まだまだ笑かしてくれます。