アデレード暮らし

2001年から南オーストラリア州のアデレードで暮らし始めた私の記録

なぜ12ヶ月間も帰国したのか

なぜ12ヶ月間も帰国したのか。
昨年度一年間、日本の小学校へ子供たち2人を送り込みました。私も同伴して帰国したのですが、なぜ1年も??とよく聞かれました。
なぜ1年間も帰国したのか。それは日本の四季の移り変わりを子供たちに体験して欲しかったからです。日本は四季があり、長い歴史の中でその四季と共に文化がとても発展した国です。日本人が無意識のうちに当然のこととして行っていることを体験して欲しかったのです。
日本へ行くことは、オーストラリアに来てすぐに考え始めました。次女が生まれ、あとは「いつ」行くか、その時期を探っていました。日本に行く年齢があまり早いと記憶に残らないだろうから、小学校にあがってからが良い。かといってあまり大きくなった後では日本での学校の勉強が大変だろうし、オーストラリアに戻ってきてからの勉強も大変になってしまうだろう。5年生を日本で過ごしてしまうと帰ってくるのが6年生・・・うーん、日本の勉強も大変そうだし、オーストラリアに戻ってきてからも苦労するかも・・・。2年生か3年生が理想的だけれど、3歳差という姉妹の年の差を変えることはできません。次女が1年生で長女が4年生なら、次女の記憶にも残るだろうし、長女の勉強もそれほど大変ではないだろし、オーストラリアに戻っても5年生だからなんとかなるだろう。年齢的に、次女は英語を全部忘れてしまうだろうから、長女よりも次女の方が苦労するだろうな、でもまだ2年生だからなんとかなるさ。
ということで、長女が4年生を、次女は1年生を日本で過ごす、ということに決まりました。私の実家の母を半ば強引に説得して、私と子供2人の計3人が名古屋の実家に転がり込むことになりました。
私の実家の都合で、これまで日本とオーストラリアを行ったり来たりする生活が続いていました。日本に帰国するたびに、実家近くの小学校に長女を体験入学させてもらいました。そのお陰で、長女には既に数人の仲良しのお友達がいました。ですから、今回日本に帰った時も、「今度は長くいられるんだね!」と日本での生活がスタートしました。
次女はまだ小さかったので、お友達は一人もいませんでした。けれど、次女は新一年生としてのスタートです。クラス全員が新入生です。お友達作りをしなければならないのは、他のみんなも同じです。そんなわけで、次女もすんなりと学校生活をスタートさせました。
一番ドキドキしていたのは親の私です。何しろ子供たちは「子供だけで」登下校するのです。アデレードでは小学校の間は親が学校まで送り迎えをします。低学年については、教室まで連れて行き、教室へ迎えに行きます。それが当たり前と思って過ごしてきたのに、突然4年生と1年生が「いってきまーす!」と家から2人だけで出かけるのです。朝は集団登校ですからあまり心配はないのですが、帰りは学年ごとに帰宅時間が異なります。学校から迷子にならずに帰ってこられるのか!?!?!?!長女でさえも怪しいのに、次女に関しては絶対に無理です。絶対に一人で帰ってこられるはずがありません。幸いにも(?)新一年生は4月の最初の3週間は給食もなく、午前中授業で、先生と一緒に下校し、保護者が途中まで迎えにいくことになっていました。しかし4週目、給食が始まると子供たちだけでの下校となります。この時点でも「絶対次女は一人で帰ってこられない」と思ったので、下校時間になると、途中まで迎えに行きました。「一人で帰れるから迎えに来ないで!」と怒られるようになりましたけど(汗)
そんなわけで、2010年4月、名古屋での「逆」親子留学が始まりました。
 
 
余談:なぜ12ヶ月しか在籍しなかったのか。
現在のルールでは、日本人が12ヶ月以上日本の学校に在籍すると、アデレードに戻って12年生(高3)になった時、高校の卒業試験(=大学入試)で子供たちの選択肢を狭めてしまう結果になるため、12ヶ月以内の在籍にする必要がありました。そんなわけで、日本での在籍期間は12ヶ月未満にしました。