アデレード暮らし

2001年から南オーストラリア州のアデレードで暮らし始めた私の記録

⑨うちの子をバイリンガルに!の軌跡 長女小学5年生編

私のブログでこれまで一番アクセスが多く、反響が大きかったのがバイリンガル育児について書いた時だったので、続きを書かねば・・・と思って再び重い腰をあげました(汗)


逆留学と称して小学4年生を日本で過ごした長女が5年生になってアデレードに戻ってきました。

英語力は出発前の3年生レベルを維持。日本で何もしていなかったのに、あっぱれ、と思いました。けれども、当然のことながら、お友達の英語力は1年分レベルアップして4年生レベルになっていました。みんなより1年遅れた状態でのスタートです。幸い算数の能力はトップレベルを維持していたので、英語の劣等感を算数の優越感で相殺した形となりました。

お友達が娘の帰りを1年間も待っていてくれたことが、彼女にとっての精神安定剤となった気がします。学校生活がとても楽しく、担任の先生が日本についてのプロジェクトを課題の一つに選んでくれて、娘が先生の助手的役割を果たしたことも、娘の自信となりました。

これまで男女関係なく元気に遊んでいたはずなのに、5年生ともなると、子供達は急に大人びて個性が顕著に現れ、似た者同士で集まるようになりました。ファッション、芸能、読書、スポーツ、アニメ・・・さまざまです。

娘の興味は読書とスポーツ。それから日本でした。スポーツ派のグループと休み時間に鬼ごっこのようなことをして男女関係なく遊び、クラスでは読書派のグループと本の話をして盛り上がっていました。Diary of Wimpy Kidsという本が流行り、友達と競って読んでいました。本に関しては図書館を利用しましたが、何回も同じ本を読む子なので、欲しいという本はすべて買いました。日本からも毎月一冊、祖父が選んで送ってくれました。土曜日の日本語補習校にも復学したので、日本の話は補習校のお友達や先生としていました。特に、日本でNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」にはまり、歴史に興味を持ちました。そんな彼女がアデレードでも大河ドラマが見られるようにとNHK国際版を契約しました。毎週日曜日は家族全員でNHK大河ドラマを見るというのが習慣になりました。

現地校が長女と次女のためにESLサポートの先生を付けてくれたので、長女は主に文法を指導して頂きました。特に苦手だったのが、時制の一致と三単現です。思いっきり日本人が苦手とする箇所ですねえ・・・(笑)

アデレードに戻ってすぐに全国の5年生が受けるNAPLANというテストがありました。3、5、7、9年生が受ける読解・作文・スペリング&文法・算数テストで、3年生の時の成績はそこそこ良かったのですが、この年の結果に本人はかなり凹んでいました。1年間のブランクがあるので仕方がないよと言うと納得していました。

本をたくさん読み、毎週さまざまな形の文章を使って作文を書いたおかげで、5年生修了時にはみんなの語学力に追いついていました。

習い事ですが、日本でバスケットボールをしていたので、その延長でこちらでもバスケットボールクラブ(週一回)に入りました。公文は元の教室に復帰。水泳も復帰。通信教育も復活。新しくバイオリンを始めました。

親としては、手取り足取り勉強を教えるということはもうしませんし、出来ません。
遠目で見ている。環境を整える。時々声をかける。それくらいしか出来ません。
家の中では日本語。これは絶対です。

学校に慣れる。オーストラリアの生活を思い出す。5年生はそんな一年でした。