アデレード暮らし

2001年から南オーストラリア州のアデレードで暮らし始めた私の記録

④うちの子をバイリンガルに!の軌跡 長女4歳

もともと私は子供の心の発達に興味があって、それに関連して脳の発達にも興味がありました。

脳はまだまだ未知の世界が沢山ある分野のひとつで、次から次へと新しい文献が出てくるし、色んな人が色んなことを言っていて、素人の私にはよくわからない。でも、私が妊娠中に読んだ文献の中に、人間の脳は3歳まで劇的に発達して8歳までゆるやかに発達しそれ以降はそれほど発達しない、と書いてあるものがあって、そのことが頭から離れずに過ごしてきました。

それから、笑うという行為が良いホルモンを分泌するだかなんだか、という話。これも私の中に住み続け、今日笑ったっけ?といいながらよくくすぐって笑わせていました。

そんなわけで、
3歳までがもっとも重要な時期。
3歳までに、色々な良い刺激を沢山あげて、シナプスを沢山作ってあげる。
沢山笑わせて、沢山いいホルモンを出してもらう。




さて、3歳が終わってしまった4歳児です。
4歳にもなると、目に見えるような変化もなく、
人間としての基盤が出来上がってしまった・・・
そんな印象を受けました。
脳が出来上がっちゃったかなぁ、と思ったことを覚えています。

個性がはっきりしてきて、好き嫌いが見えてきます。得意・不得意も見えてきます。
話す言葉は相変わらず日本語です。英語はまだまだ「聞いている段階」でした。
子供によっては、〇〇って英語でなんていうの?と聞いてもおかしくない年齢です。でも、うちの子は一回もその質問をしてきませんでした。聞いてこないのでこちらも答えません。教えるのは日本語だけでした。英語は外の世界にまかせっきりにしていました。

生活も大いに変わりました。
幼稚園へ通うのです。
毎日2-3時間ほどですが、英語の世界へ通います。
この「毎日」の影響の大きいこと!
あっという間にアンパンマンよりも英語のテレビが好きになってしまいました。
ありゃりゃりゃりゃぁ。
でもそれは、英語が好きだという気持ちの表れですから、素直に感心しました。

家にはひらがなの50音表が貼ってありました。
それを一緒に見ながら「あひるのあー!」とか言って遊んでいるうちに、ひらがなを覚えました。一番最初に覚えたのは「ひ」でした。ひとつ覚えたらその後は早かったです。

ひらがながわかると、自分で本が読めます。
ひらがなしか使っていない絵本を目の届くところに置いておきました。すると、自分で読んでいました。一字一字、声を出して、ゆっくりと毎日読んでいました。そんなにゆっくりじゃ意味が理解出来ないんじゃないの?とも思いましたが、読むという行為を楽しんでいる様子だったので、そっとしておきました。(読んだ後の拍手喝采は忘れないようにしました。)

観察していると、
日本語は「ね」を読んだあと「こ」を読んで「ねこ」と意味がわかって喜んでいるのですが、英語は C、A、T、がわかっても CAT=キャットとは読めません。意味がわからないので、喜びはそれほどでもないようでした。ただ、アルファベットを上手に書くと、周りがほめてくれるので、そのことが嬉しかったらしく、一生懸命書いていました。

そんなわけで、日本語は読むことを、英語は書くことを楽しんでいました。

日本語は、単語を体験させるように努めました。
外に出れば、必ず空を見上げ、空について話します。今日は快晴だねえ。今日は雲があるね。あれはひつじぐもだ。今日はうろこぐもだねえ。あ、にゅうどうぐもだ、みてみて、にじだよ!、こんな具合です。そうするうちに、子供のほうから空を見上げて今日の空はこうだ、と言うようになりました。

台所では出来ないのを承知でお手伝いをしてもらいました。
餃子を包んでもらったり、白玉団子を丸めてもらったり、葡萄を洗ってもらったり、パンの形を作ってもらったり、二人でぶつぶつ話しながら実際に作業をしてもらいました。

こちらには日本のような四季がないのですが、秋を見せたくて、紅葉する丘までいって、「これが秋だよ。」と教えたり、夏の暑い日には「あついねえ。これが夏っていうんだよ。」と教えたりしました。

あ、日本へ2ヶ月一時帰国をしました。
その間、楽しいことを沢山して、日本というのは楽しいところだ、大好きだ、という思いを強くさせるようにしました。お陰で日本から帰ってくると、またアンパンマンを見るようになりました。

公文式を始めたのも幼稚園へ入ってからでした。2歳から続けていたリトミックが修了したので、何かほかに英語で習うもの、と思っていたところ、公文式がありました。見た目には一切そんなそぶりを見せなかったのですが、幼稚園生活の中で、伝えられない悔しさ、わからない悲しさを、子供なりに心の中では感じているはずだと思い、劣等感を持たないように、英語を拒絶しないように、英語の説明がいくらか想像できる算数を英語で習わせることにしました。予想通り、数字をどんどん英語で覚え、自信もどんどんつき、公文の先生とは抵抗なくやりとりが出来るようになりました。とはいうものの、英語力は全然で、公文の先生は子供が何を言っているかわからずご苦労されたことでしょう。子供にとっては、日本語ではない言葉を自分の口でしゃべり、ちゃんと相手も聞いてくれるという行為が、英語に対する自信に繋がっていったと思います。

4歳は、基本的な日本語が出来上がったので、それをいかに装飾していくか、発展させていくか、そして、英語に劣等感を持たないように、自尊心を傷つけないように、そういうことに気を遣った年だった気がします。