アデレード暮らし

2001年から南オーストラリア州のアデレードで暮らし始めた私の記録

⑤うちの子をバイリンガルに!の軌跡 長女5歳

5歳になってしまいました。
南オーストラリア州では5歳から小学校へ通います。
日本語補習授業校にも通い始めました。

日本語に関しては特に心配する点がありませんでした。
ひらがなを読み書きして、カタカナを読みました。
5歳の後半には今日の一文と題した一行日記を書いて補習校の先生に見てもらいました。

相変わらず、英語は外部任せです。英語が母国語の人に教えてもらわなきゃ・・・と思っていました。

小学生ですから、毎日約6時間を英語の世界で過ごします。
7時半に起きて8時には寝ますから、起きている時間の半分を英語の世界で過ごすことになってしまいました。

入学当時の英語力はかわいそうというか・・・
聞いて理解する能力も、話す能力も、ないといったほうが正しい。
好きな先生や友達には何やら意味不明な英語らしき言葉をしゃべっているものの、誰も理解出来ません。とても英語でやっていける状況ではありませんでした。

ところが子供というのは不思議なもので、全然そんなことはお構いなしで、毎日学校が楽しくて仕方がない様子でした。

学校の先生に「うちの子はさっぱり英語が話せないし理解もしていないのですが、大丈夫でしょうか?」と相談すると、「この子は勘がいいからぜんぜん問題ない。そのうち英語もしゃべるようになります。それよりも、母国語(日本語)のことだけを心配しなさい。忘れるのは早いんだから。」と言われました。先生、ありがとうございます、そういう心境でした。

そうか、、、お前は勘がいいのか。
周りのお友達が何をしようとしているのかを判断して同じことを真似してやっていた娘。
すばらしい記憶力のお陰で単語のテストはいつも満点。(単語の意味はまったく理解してない・・・)

友達とのコミュニケーション手段は、友達の名前を呼び、後は体で表現。
例えば、「エミリー!」といった後に走り出し、鬼ごっこしようよ!と体で表現する。
お友達もそのうちわかって鬼ごっこが始まる。
その繰り返し。

たくましいなあ。

毎日、「今日学校で何をしたの?」と尋ねるのですが、「わかんなーい」とあっけらかんという娘。
こんなことでいいのかなあ・・・

とりあえず、宿題とされる単語の書き取りと本読みは家でもやりましたが、それも毎日10分足らずで終わってしまいます。いつ英語を話すようになるんだろう・・・???

心配性な私は、学期が終わる度に先生に「どうでしょうか?だいじょうぶでしょうか?」と尋ねるのですが、「全然問題なし。」と言われ続けました。本とかなあ・・・と、???の日々でした。

状況に変化が見られたのが8ヶ月経った頃でした。
仲良しのお友達が、娘のしゃべる意味不明な英語を理解するようになったのです。
他の子にはわかってもらえません。でも、その一番仲良しのお友達だけには通じるのです。
会話をしている二人をみて感激しました。これって友情???^^

たくましく学校へ通った5歳でした。(本人的には、まだまだ英語を聞いている段階だったのでしょうね)