アデレード暮らし

2001年から南オーストラリア州のアデレードで暮らし始めた私の記録

⑥うちの子をバイリンガルに!の軌跡 長女6歳

6歳になりました。小学1年生です。
前年の準備期間の学年と違って、学問の要素が濃くなります。

平日の起きている時間中、英語の世界が6時間、日本語の世界が6時間。
お友達の家へ遊びに行ったり、お稽古へ行ったりすると、日本語の時間が減ります。

それでも何とか、本を読んだり、アニメを見たり、通信教育をしたり、補習校の宿題をしたり、と日本語の勉強を続けていました。

未だに意味不明な英語をしゃべる日本人に違いなかったうちの子ですが、
しかし、こういう日は来てしまうものです。
ああ、ついにこの日が来たか・・・そう思いました。

学校の帰り道の車の中でのことでした。
子:「今日はvolcanoについて勉強したよ。」
母:「え?何を勉強したって?」
子:「volcano。山から煙がでたりするの。」
母:「ボルケーノーって日本語ではなんて言うか知ってる?」
子:「しらなーい。」
母:「・・・」

それまでは、日本語ではなんていうか知っているんだけど、英語でなんていうかわからない、という状況でした。だから、その対象と直接結びつく言語は日本語でした。例えば、「学校」というものを理解する場合、まず日本語で学校には先生がいて生徒がいて毎日通ってお勉強して・・・と理解します。そして、その後に、英語では学校のことを「school」と言う、といった具合に学んできたわけです。

ところが、火山に関してはその逆のことが起こってしまったわけです。まず、山が煙を吐いたり噴火したりする、そういう山をvolcanoと呼ぶ、と英語で説明を受けて英語で記憶されたわけです。英語ではなんていうか知っているんだけど、日本語でなんていうかわからない。説明も英語で受けているので、日本語で上手く説明が出来ない。

・・・

こうなると、親としてはお手上げです。

火山に関しては、子供が「volcano」を勉強した、と教えてくれたので、それは日本語で火山って言うんだよ、火山って言うのはこうこうこうでああでこうで、とフォローが出来ましたが、子供は学校で習ったことをすべては教えてくれません。親の知らない間に、新しい知識をどんどん英語のみで吸収してしまう段階に来たことを、この会話で知らされました。

それからしばらくは、しつこいくらい何度も、「いい?日本語でなんていうかわからないことを学校で習ったら、絶対にお母さんにも教えてよ。」と言いました。

それでもやはり「日本語ではなんていうかわからない」英単語が増えていきました。

それからというもの、私は近い未来この子は何のことについて学ぶのだろう?と他のクラスを覗いたり、上の学年を覗いたりして情報収集を心がけるようになりました。そして、そのうち必ず恐竜を学ぶに違いない、とわかれば、日本語で恐竜の本を。生物の変態について絶対やる、とわかれば、おたまじゃくしは蛙になるし、あおむしは蝶になって、そういうのを変態というんだよーと、英語よりも先に日本語で先取りするようになりました。(でもね、1年生に「変態」なんて単語は日本では教えないよなぁ・・・と何度も思いました。)

いくらこちらが頑張っても、勝ち目はありません。「あ=、やられたー、先を越されたーーー!!!」
の繰り返しでした。

子供に英語の知識がどんどん付いていきます。

年初には ほとんどの人が理解出来なかった娘の英語ですが、一年が過ぎた時点では、先生も生徒も、そしてお友達のお母さん達までが、娘の英語をわかってくれるようになりました。

英語の世界で3000時間過ごすと、英語を話すようになると前回の日記のコメントで教わりました。まさしく、この6歳終了時が3000時間でした。娘の英語がちゃんと英語になったということなのでしょう。私にはさっぱり娘の英語が聞き取れないでいるのに、他の(英語が母国語の)人達はちゃんと聞き取って、普通に会話をしてくれているのです。

へぇ~!
やっぱり私の耳は日本語なのねー、と思いました。


ああ、知識が英語で入っちゃう~と大変悩んだ6歳でした。