アデレード暮らし

2001年から南オーストラリア州のアデレードで暮らし始めた私の記録

⑦うちの子をバイリンガルに!の軌跡 長女7歳

7歳になりました。小学2年生です。

日本大好き少女です。
日本という国は楽しいところである、
日本という国には会いたい人が大勢住んでいる(祖父母にいとこたち)
日本という国には欲しいものが何でも売っている(主におもちゃ)

私は日本人。といつも公言しています。

学校の図書室で借りてくる本は全て「Japan」や「Japanese」という時期もありました。

北京オリンピックの影響で、日本への思いはさらに強まり、
水泳の北島康介選手は彼女にとってスーパーヒーローです。

見るのも読むのもすべて日本語。

そんな彼女がドラえもんにはまりました。
漫画本を入手してからは、ドラえもんをDVDで見た後に、漫画本でも読みます。
児童書を一切読まなくなりました。漫画が読みたくて、勉強していてもソワソワしています。

おいおいおい。

ドラえもん禁止令を発令しました。

するとどうでしょう!

隠れてこそこそ読んでいるのです!

許せ~ん!!

でも思いました。2年生になってから勉強量が大幅に増え、自由時間が大幅に減りました。かわいそうだな、とも思っていました。

親に隠れてという行為はいけません。
仕方がないので、消灯時間を30分ずらしました。
これで思う存分ドラえもんが読める!と思ったのでしょう。それ以降はこそこそすることはなくなりました。日中の勉強にも集中するようになりました。

ドラえもんを読んでいてわからない言葉があると聞いてきます。
絶滅した生き物が出てきた時は、図鑑で調べていました。
黒潮って何?暖流って何?
・・・
ドラえもんも悪くありませんねえ。^^




そんなこんなで、親としては特に新しいことをするわけでもなく、前年と同じように過ぎていった7歳でした。


ただひとつ、大きく変えたことがありました。

学校にいる時、もし周りに人がいたら、英語で会話をする。


それまで徹底して子供には日本語を通してきましたが、どうもそれでは具合が悪い状況であることに気が付きました。私と子供が日本語で会話をしていると、どうも周りの雰囲気が変・・・というか、シーンとする・・・というか、張り詰めた空気が流れる・・・というか。

私が子供に英語で話しかけると、その空気が一気に元に戻るのです。
そりゃあそうですよねえ。

学校で子供に話しかける場合というのは、大概「あれはどうなったの?これはどうするの?」と行事や提出物に関する話です。

それまでは日本語でそういった会話をしているので、当然他の誰にも理解出来ません。子供の返事のみが頼りです。ところが、その会話を英語でしてみると、どうでしょう!それを聞いていた他の生徒やおかあさん方が会話に入ってくるのです。「あ、それは延期になったんだって。」とか、「やりたい人だけやればいいのよ。」とかです。

ああ、みんな私達の日本語の会話も聞いていたんだな、でも意味がわからないから聞かないようにしてたり、どうしていいかわからなかったんだな、と気が付きました。「このおかあさん、英語も話すんだ」、と安心した人もいたようで、挨拶をしてくれる人が増えました。

そんなことがあったので、これは英語を話すほうがいい、と思い、子供に宣言しました。「これからお母さんは学校では英語を話します。でも家では日本語です。」

最初は変な感じがしましたが、そのうちに慣れました。

今では学校では英語で子供に話しかけています。
(これがまた、子供に「おかあさんの英語、変~」と言われることになってガックリなのですが・・・^^;)


お母さんは大人になってから英語を勉強したから日本語の発音なの!あなたは子供の頃から英語も日本語も勉強しているんだから、両方上手になりなさいよ~、と強く主張した7歳児の母でした。