アデレード暮らし

2001年から南オーストラリア州のアデレードで暮らし始めた私の記録

アイデンティティー

我が家は何故バイリンガル子育てをしているのか。

オーストラリアに住んでいるので、それが出来る環境にある。
確かにそのとおりなのですが、成り行きに任せるという選択肢だってあります。
なぜそれをしないのか。

それは、自分の経験上予想していることなのですが、、アイデンティティーの問題に関わってくると思ったからです。

多くの日本人は、アイデンティティーについてなんて悩まないでしょう。
自分は何ジンなのか?日本人だ。
そんなことは、当たり前すぎて悩みもしないことでしょう。

私はアイデンティティーについて悩んだ時期がありました。大学生の時でした。
10歳まで日本、その後15歳まで東南アジア、それから18歳まで日本、そして23歳まで米国で過ごしました。東南アジアでは日本人学校に通ったので、日本で通った小学校と高校を合わせると12年間日本の教育システムの中で過ごしました。初めて外国の教育に触れたのが大学に入ってからでした。

両親は日本人。18歳まで日本の教育。家族で渡米。
どこをどうみても私は日本人。
そうなんです。日本人なんです。はっきりしているのです。

ところが、アメリカという国がそうさせたのでしょうか、「私ってなんじんなんだろう?」と悩んだのでした。どうして悩んでしまったのかわかりません。わかりませんが、真剣に悩んだ時期があったのです。

こんな(日本人だとわかりきっている)私が悩んだのですから、娘達が悩まないはずがない。
そう思っているのです。

アイデンティティーについて悩んでいると、精神的に不安定にもなります。
当時色々と考えていた私でしたが、両親の考えは一貫していました。
「あなたは日本人」

東南アジアにいる頃から「あなたは日本人なんだから」とよく言われました。「日本人を代表していると思って行動しなさい」「日本人だから」「日本人なんだから」などなど。小・中学生でしたから、あまり気にもとめていませんでしたけどね。

アメリカに行っても同じでした。

私がふらふらさ迷っている間も、一貫して「あなたは日本人」と両親が言ってくれたお陰で、私も最終的に「私は日本人」という答えに納得することが出来、アイデンティティーについて悩むことは終わりました。

今考えるとどうしてあんなことで悩んだのだろうか、と不思議でなりませんが、それが青年期というものなのでしょうかねえ。

バイリンガル育児とアイデンティティーがどう関係するのかですが、
アイデンティティーの問題というのは、自分は何者なのか、どこに属するのか、という問題なのです。
自分は日本人である、と思いたくても、日本語が出来なかったら・・・どうでしょうか?たぶんそのグループに受け入れてはもらえないでしょうし、自分自身が、私はここに属さない、と思うでしょう。

ではオーストラリア人?
すんなりと受け入れてもらえるならば何も問題は起きません。
もしも受け入れてもらえなかったら、もしも、「違う。私はここには属さない。」と思ってしまったら、どうすればいいのでしょうか?

アイデンティティーを失ってしまった人は、悩みに悩みます。アメリカではそういうxx系2世、3世、4世を沢山見てきました。悩んだところで答えが見つかるわけでもなく、最終的には自暴自棄になってしまいます。悲しいことです。でもそんな人がこの世には沢山いるのです。

将来、子供達がアイデンティティーについて悩んだとき、私は自分の両親がそうであったように、
「あなたは日本人だよ」と言うことに決めています。結果的に子供達が「自分はオーストラリア人」と結論づけても、それは構いません。ただ、自分がオーストラリア人である、と心から思えなかった時に、日本人としての選択肢がある。

日本人だと思うからには、日本語が日本人並みに話せないと・・・日本を日本人並みに知ってないと・・・だから、日本語を学ばないといけないし、日本の生活習慣や文化を知る必要があるのです。

どうなんでしょうねえ。これっていいことなんでしょうかねえ?わかりません。
ただ、子供が悩んだ時に「お父さんとお母さんはこういう考えです。」っていう強いものがあったら、安心出来るよなあ、と自分の経験上思うので、自分もそうしたい、と思っているのです。


最近↓の本を読みました。 
バイリンガル教育の方法(12才までに親と教師ができること)中島和子著

お薦めです。