アデレード暮らし

2001年から南オーストラリア州のアデレードで暮らし始めた私の記録

寄り道 3日目 ~博多から釜山へ~

寄り道3日目です。
 
(お断り:リアルタイムの更新ではありません。1ヶ月以上前の話です)
 
朝5時半起床
6時ホテル出発
6時23分佐世保から特急みどりに乗って博多へ。
博多駅からバスに乗って港へ。
 
さあ、午前10時、いよいよ出国です。
ビートルという高速船での出国です。
 
出航してすぐ実家にメールしました。
「博多を出発しました。日本からの最後のメールです。ありがとう!」ってね^^
返事が来て、それからすぐプリペイド電話の電波が「圏外」になりました。
なんだか寂しかった。
 
船は速いんだけど、船酔いの経験があるので、
しっかり薬を飲んで無言で目をつぶっていました。
 
そして13時、釜山到着~~~~。
 
わぁ~~い、韓国だ~~~、韓国だ~~~^^
 
 
字が読めない。
何言ってるかわからない。
 
 
地下鉄で宿泊先まで行きました。
 
地下鉄では、ガガ~ン!切符の買い方がわからない・・・
でもそこへ救世主登場。
ボランティアのおじいさんが日本語で手伝ってくれました。
ありがたやありがたや。
 
目的の駅についたら、こんどはどうやって宿泊先まで行けばいいのかよくわからない。
地図の前で4人で固まっていると、地下鉄に乗りにきたであろうお姉さんがやってきて・・・
「〇x〇xxxxx〇〇?」(←韓国語)と声をかけてくれたので、
「We can't speak Korean」(韓国語話せないの) と、返事をしたら、
「Where are you going?」(どこへ行くの?) と、聞いてくれました。
釜山ユース・アルビナまで、と返事をしたら、そのお姉さん、そんなに英語が得意ではないらしく、場所はわかるけど説明が難しかったみたいで、
「一緒に行ってあげるわ」と、言ってくれたので、
「いやいや、あなたはこれから地下鉄に乗って出かけるんでしょ?そんなお手間なことはお願いできませんよ。」
と遠慮して(そりゃそうでしょ?)
「カムサミダー」とお礼を言って別れました。
 
ボランティアのおじいさんや、このお姉さんに限らず、韓国では、年齢性別問わず、色々な人が普通に声をかけてきて助けてくれるので、韓国の人って親切ねえ、という印象を持ちました。子連れだったからかなあ?特に、次女が必死にキャリーバックを引っ張っているのを見てかわいそうに思うのか、何も言わずにヒョイっとカバンを持ち上げて階段を上ってくれたり、下りてくれたり、電車に乗せてくれたり、という場面が多々ありました。
 
さて、今回、韓国では ホテルではなくて、ユースホステルに宿泊するのです。私にとって初ユース。ファミリールームという広くてキッチンがついているお部屋があるのだそうです。
着いて早々、子供たちはプールがあることに気付き、プールに行く!と騒ぎ始め、「何で韓国来てすぐプール?」と思ったけど、彼女達はプールへ行きました。満足した子供たちと一緒に、4時頃に遅いランチと称して「ビビンバ」をロッテデパートのレストラン街で食べ、ウエイトレスのおばちゃんに、どこかスーパーはないか?と聞いたら隣の新世界百貨店のデパチカへ行け、と教えてくれたので、ロッテから新世界へ移動して、朝食や夜食を買い、朝が早かったので、夜は部屋でのんびり過ごしました。床がオンドルという床暖房だったのが快適でした^^
 
ハローがアンニョンハセヨー
サンキューがカムサミダー
とだけ覚え、後は英語と身振り手振り。
でも、ありがとうの「あ」がどうしても頭から離れなくて、つい、サンキューと言う時に「アンニョンハセヨー」が口から出てきてしまうので、何度も「アンニョ・・・カムサミダ~」と言っていたら、長女に「アンニョカムサミダ~じゃないでしょ?!」とツッコミを入れられてしまいました^^; さすがに子供はのみこみが早くて、上手にアンニョンハセヨーとカムサミダーを使い分けていました。
地下鉄に何度も乗ったので、「閉まるドアに御注意ください」的なアナウンスをよく聞き、その音が面白くて二人とも上手に真似していました。
 
釜山に到着して下船した直後は、
字が読めない。
何言ってるかわからない。
と硬直していた子供たちでしたが、親も韓国語がわからないんだ、でもどうやら大丈夫らしい、と判断したのか、夜にはすっかりリラックスしていました。
 
釜山には2泊します。
 
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桜が綺麗だった
 
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とりあえず石焼ビビンバ@ロッテデパート
 
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夜食のカクテキ&うどんfrom新世界