アデレード暮らし

2001年から南オーストラリア州のアデレードで暮らし始めた私の記録

寄り道 13日目 ~ペナン島からレダン島へ行こうと思ったら~

寄り道13日目、移動日です。でも午後には真っ白なビーチでのんびりだ!!
 
まず、朝一の飛行機でペナンからマレーシア航空子会社のFireflyに乗ってマレー半島東海岸にある町クアラ・トレンガヌまで行き、そこからボートに乗ってレダン島まで向かう予定でした。
 
でした。
でした?
 
そうなのです。
 
予定は未定。
ペナンの空港に行ってビックリ!
 
ペナンークアラトレンガヌ線が廃止になってました。
航空会社は、アデレードの自宅に連絡を取ってくれたようですが、連絡が取れるわけがありません。だって旅行中だもん。
 
ペナンからまずクアラルンプール近くのスバン(Subang)へ飛んで、そこからクアラトレンガヌへ飛ぶしかありません。マレー半島を一の字で飛ぶ予定だったのに、Vの字で飛ばなければならなくなりました。(泣)
しかも、その予定で飛ぶと、予定しているボートに乗れません。
ボートに乗れないということは、島に着けない、ということです。
島に着けない、ということは、午後にビーチでのんびり出来ない、ということです。
 
レダン島のホテルは、キャンセルが出来ません。
4泊する予定ですが、泊まれない1泊分も返ってこないのです。
その上、クアラトレンガヌで1泊しなければなりません。
さらには、クアラトレンガヌ空港からホテルまでの移動、ホテルから港までの移動、ボートの予約を全て手配し直さなければなりません。
 
航空会社の都合ですから、ダンナは、「俺達のバケーションを台無しにしてくれるな。なんとかしてくれ。」と、日本人並みの粘り強さと、欧米人並みの押しの強さで強力に交渉し、クアラトレンガヌのホテルと、ホテルまでの足とホテルから港までの足と、ボートの予約変更まで全て航空会社のマネージャーさんにしてもらいました。旅行保険にも入っていたので、ホテルのキャンセル料が何とかならないかもマネージャーさんに交渉してもらっていました。2時間くらいがんばったと思います。それでも、どうしてもホテルのキャンセル料はダメでした。でもマネージャーさん、頑張ったと思います。ありがとうね。ダンナと握手して別れる時のマネージャーさんの顔、本当にホッとしてましたよ。朝から大変でした。
 
あ~あ。こんなことなら早起きしなくてもよかったのにねえ。
 
そんなわけで、予定外でしたが、Subangの空港へ飛び、通り過ぎるはずだったクアラトレンガヌの町に泊まることになりました。
 
ペナンと違ってマレー人の町、クアラ・トレンガヌ
モスクがとっても美しかったですよ。
 
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英語もさっぱり通じないし。
 
なんだかわからないけど美味しそうだったので買ってみたら、いわゆる、かまぼこだった。
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辛くないヌードルを頂戴、と注文をしたら、出てきたのはインスタントラーメンだった!
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思いもかけずクアラトレンガヌに長くいられて、それはそれで楽しかったです。