アデレード暮らし

2001年から南オーストラリア州のアデレードで暮らし始めた私の記録

忙しかった春が終わって

忙しかった春に比べ、6月は静かに過ぎていきました。

名古屋市では4年生から部活動が始まり、長女もバスケットボール部に入部しました。球技は初めてですが、体力だけは人一倍あるので、毎日楽しそうに練習していました。体操服でいいはずなのに、やれ〇〇ちゃんはこんなのを着ていた、xxちゃんはあんなのを履いていた、と色々と情報を得てきます。スポーツ用品店の場所もよくわからず、近所のバスケットボールショップに2人で自転車で出かけ、あれやこれやと買わされました^^; バスケットボールは自分にとって馴染みのないスポーツなので、何がどこまで必要なのかさっぱりわかりませんでしたが、楽しそうにしている姿を見るのは嬉しいことでした。お友達としゃべりながら帰ることも、これまた楽しいようで、また一歩外の世界へ踏み出したなぁ、と そんな印象を受けました。

次女はというと、私が大学でお手伝いを始めたため、トワイライトスクールで6時まで過ごすようになりました。学校は2時には終わっているので、その後毎日4時間、トワイライトスクールで遊んだり勉強したり体験したりします。トワイライトスクールには3月までしっかりお世話になりました^^ これまでの一時帰国では、一人もお友達がいなくてつまらない思いばかりしていた次女ですが、1年生になって、お友達が沢山出来、しかもトワイライトにも仲良しのお友達が何人もいるので、学校大好き、トワイライト大好き少女になりました。

イメージ 1

5月は家庭訪問、6月は授業参観と学級懇談会がありました。

長女はこれまでも体験入学をさせてもらったりしていたのですが、同級生からはお父さんがオーストラリア人だと思われていたそうです。今回の帰国で初めて、両親ともに日本人なんだとわかって、チョージョって日本人だったの!?とビックリされたそうです。(笑)

長女の同級生やその保護者の皆さんには、私たちがオーストラリアから来ていることは知られているので、授業参観で会うと、「今回の帰国は長いんだって?」とか、「日本どう?」とか聞かれましたが、次女に関しては、そんなことを知っているのは先生だけなので、面白いくらい「無関心」というか「同じ」というか「特別な目で見られない」というか、まあ、クラスの中の保護者の一人、という扱いで、それはそれでとても面白かったのですが、その代わり、PTAの役員に当たってしまいました・・・ 「上の学年に子供がいて、まだPTA役員未経験」という条件は、とても「当り」やすいのです・・・(汗)  断りたくても結果的に断れず、1年しかいないのに、PTA役員の一人になってしまったのでした。家に帰って母に話すと、「あなたのことだから断れないと思った~」と言われてしまいました。(とほほ)  でも、とてもいい経験になりました。^^