アデレード暮らし

2001年から南オーストラリア州のアデレードで暮らし始めた私の記録

①うちの子をバイリンガルに!の軌跡 長女1歳

タイトルですが、バイリンガルになって欲しいという希望のもと、子育てをしています。
でも成功しているのか失敗しているのか、まだまだわかりません。とりあえずは中間報告みたいなものです。
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バイリンガルっていうのは、二つの言語を自由自在に高度なレベルで操ることの出来る人のことだと思うのですが、この高度なレベルまで到達する人ってほんの一握りだと思います。

我が家は、日本人の両親がオーストラリアで子供二人を育てている、という状況なのですが、出来ることならば、彼らにはバイリンガルになってもらいたい。私の中の「高度なレベル」というのは、ビジネスの世界で、きちんとした文書、きちんとした言葉で議論出来るレベル。新聞を読めて理解することは当然のこと。論文を読み書き出来るレベル・・・これは・・・そこまでは望まないけれど、出来たら素晴らしいなあ。

今までに読んだ話、出会った人達からの話、そして耳にした話を総合すると、親の努力が半端じゃない、ということが共通していたので、自分達なりに気にして子育てしてきました。

生後10ヶ月でアデレードにやってきた上の子が、現在小学3年生なのですが、日本の小学校へ転校しても、平均レベルでやっていける日本語力が身についていると思っています。現地の公立小学校でも問題なくやってくれています。ここまでになるこの8年間の私達の努力といったら!と、自分達を褒めたい気分ですが、ここでは触れません。それにまだまだ先は長いです。まだたったの8年間。さらなる悩みも出てきます。

さて、
この8年間徹底してきたことがひとつ。

日本語しか使わない。
何が何でも子供には日本語でしか話しかけない。
これは、母語をひとつ決めるためです。
あなたの言葉は日本語だよ、と教えてあげる意味もあります。

それこそ「ピンク」じゃなくて「ももいろ」の世界ですよ。
「オレンジ色」じゃなくて「だいだいいろ」ですよ。
ミルクじゃなくて牛乳だし、ランチじゃなくてお昼ごはんです。

日本語しか使わない。
これは今でも徹底してやっています。
ただ、年齢が上になるにつれて問題が生じてきました。
その問題については、また後日。


話は子供が1歳の時にもどりますが、
親が子供に話す言葉は日本語だけ。
それでは英語はどうしましょう?

1歳児をどうやって英語の環境に置こうかなあ・・・
と思って始めたのが、週1回の託児所送りです。(私も自由時間がもらえるし^^;)

1歳2ヶ月になった子を、週一回半日だけ、英語の世界へ放り込みました。子供は嫌でも英語に触れます。英語が自然に体に入るように、お家で聞いているのとは別の言葉があるんだよ、と体感してもらうために・・・これで「ピンク」も「オレンジ」も「ミルク」も「ランチ」も全部耳に入ってきます。言葉が話せなくたって、他の子供も話せないのですから全然問題なし。保母さんたちも子供の要求することは基本的に同じですから、気にせず普通に扱う。No problem。慣れてきた頃、半日をもう一日増やして、週2回半日にしました。あまり長く預けるのもなあ・・・という思いもありました。英語と日本語で混乱して欲しくなかったからです。あくまでもまずは日本語の基礎を固める。これが最優先だと思っていました。

家で見るのは日本語のビデオだけ。日本の親戚が「いないいないばあ」と「おかあさんといっしょ」を毎月録画して送ってくれました。それと同時に始めたのが「しまじろう」。毎月本やおもちゃ、ビデオが届きます。親が使う日本語だけでは限界があるので、ビデオでいろんな日本語に触れてもらおうという魂胆です。さらに自分も子供と一緒にビデオを見ます。見たら日常で実践です。日常の会話の中になるべくビデオで見たり聞いたりした言葉を混ぜ込み、子供の記憶のバックアップをします。童謡もガンガン歌います^^

絵本は、日本語の絵本もあれば、英語の絵本もありました。でも読み聞かせるのは日本語だけ。英語の絵本も私の適当な和訳で読んでいました。本の場合もバックアップは大切です。日常の会話の中に本の内容を織り込んでいきます。

日本語のプレイグループにも通い始めました。
同じ年頃の子供達と日本語で遊ぶことの出来る良い機会です。お友達も出来て、お互いの家を行き来する回数もぐんと増えました。




次回は2歳の時にはどうしたか、を書こうかな。