アデレード暮らし

2001年から南オーストラリア州のアデレードで暮らし始めた私の記録

プライマリーソース・一次資料

小論文やリサーチペーパーは、プライマリーソースで書くように。
大学時代、耳にタコが出来るくらい聞かされた言葉だ。
 
私の専攻はマス・コミュニケーションで、副専攻が政治学だったので、どの授業でも膨大な量のテキストを与えられ、さらに追加の資料集めも求められる。その上、政治学の読書量は半端なく多く、別学部専攻の友人達はいつも目を見開いて驚いていた。(でもそのお陰で飛ばし読みが得意になった。)
 
膨大な資料を読んでまとめる、というのが主な課題だった。
そしてその時の注意事項として必ず言われることの一つが、冒頭にも書いた「プライマリーソースで書くように。」であった。
 
プライマリーソースというのは、日本語で一次資料というらしい。オリジナル、という意味だ。
例えば企業の業績について書く場合、プライマリーソースはその企業の決算資料、ということになる。
決算資料をもとに書かれたものはセカンダリーソース(二次資料)、ということになる。
 
マスコミ学部の場合、プライマリーソースといえば、各省庁の発表資料や企業のプレスリリース。法律もそうだし、研究者が発表した論文もプライマリーソースということになる。小説や自叙伝はプライマリーソースだけれど、伝記はセカンダリーソースとなる。新聞などのマスコミ発表は基本的に2次あるいは3次資料だ。
 
「この情報源は誰なのか。」こんなことを気にして4年間文章を書いた結果、私は情報源を気にする人間となった。(大げさかな?)
 
課題を書く時に資料集めをするが、その時にしなければならないこととして、反対意見も必ず課題の中に書く、というルールがあった。自分の指示する考え方を明確にして文章を構成していくのだが、その中に必ず反対意見も書かなければならないのだ。自分が指示している意見の弱点や欠点を反対意見の中には見つけることが出来る。しかしそれでも自分はこの考え方が正しいと考える、と結論付け、今後の展開を書いて完結する。
 
「反対意見はどんな内容かな?」こんなことを気にして4年間文章を書いた結果、私は反対意見にも寛容な人間となった。(大げさかな?)
 
何事にもプライマリーソース、といわれ続けた4年間。プライマリーソースを信じることに重きを置いた結果、マスコミを含め、基本、「又聞き」は鵜呑みにしない人間となった。
 
*******************
 
私、思うんです。自分が当事者ではないのに、偏った情報だけで物事を判断して、その情報だけをもとに行動することは危険なことだって。
 
何か行動を起こす場合、必ず、双方の意見を冷静に聞く。そして自分で判断する。行動するのはその後。
そうしないと、事態はますます混乱していく。
 
対立している人の意見を冷静に聞くこと。プライマリーソースで判断すること。とても重要です。